君がチェシャ猫 V









虹色に輝く川の付近まで来たところで俺は走っていた足を止めた。
息の乱れが激しいが今は、そんな事言っている暇はない。

兎に角、この変な場所から逃れなければ…ッ!!



「クソッ!!」



ガンッと近くにある木を叩けば、何かがパラパラと落ちてくる。
葉では無い。

これは…水?



「痛いじゃない!!何をするのよ!!」



少し甲高い怒鳴り声に俺は肩を竦めた。
でも、何処に声を発した人がいるのか分からない。
視線を辺りに泳がせれば白い手が俺の頬を抓った。




「何処見ているのよ!私は、ここよ!!」




グイグイと引っ張られ俺の視線は木に向いた。
次の瞬間、俺は悲鳴をあげそうになった。
木の幹から緑色の短い髪に埋もれている頭をしきりに撫でている一人の少女が頬を膨らませている。
少しばかり緑色の瞳が潤んでいるのは気の所為ではない。



「もう!最近の子は乱暴ね!貴方、誰?!」
「え…と…俺は」



シドロモドロしている俺に少女は呆れたような声を出した。
自分の正体すら言えない人間に対して、事実呆れたのだろう。



「まぁいいわ。今度から殴るのは止めてね!痛いんだから!」
「俺、貴方は殴ってませんよ!!」



少女の言葉に驚いたのは俺だった。
俺が殴ったのは木の方で少女には一切手を出していない筈だ。
だが、その言葉に苛ついたのか少女は声を張り上げた。



「殴ったじゃない!!今、私を!」
「俺が殴ったのは、この木でして!!」
「はぁ?!なら私の事を殴ってるじゃない!!」



俺が面食らっていると少女はフンッと鼻を鳴らす。
そして数秒ぐらい過ぎた頃、何かわかったのか少女は手をパチンと叩いた。



「貴方、私がこの木の精霊だって知らない?」
「精霊?」



俺の言葉に「やっぱり」とだけ漏らすと少女は頭を数回掻いた。
「しょうがないかぁ…」と何度も呟きながら少女の溜息が聞こえる。



「あの…」
「私、この木の精霊で名前はリーフって言うの。だから、貴方が木を殴ると痛い思いをするのは私になるのよ。だから、怒ったのよ。でも、貴方が知らなかったなら怒れなくなるわね。今度から気をつけてとしか言えないわ」



ガックリと肩を落とすリーフを見ながら俺は悪いことをした、と反省の気持ちで一杯になる。
木にも感情はあるのだ。
痛いとか、辛いとか、嬉しいとか、楽しいとか、色々。
それを全く考えずに俺は傷つけたんだ。


今度は俺が肩を落とす。
それを見たリーフが首を傾げた。



「そういえば、貴方さっきチェシャ猫クンと一緒にいなかった?」
「え…?」
「もしかして、君4代目なんじゃないの?」



リーフは白い手で俺を掴むと眉を眉間に寄せる。
怒っているのだろうか…



「4代目なら、早くチェシャ猫クンの元に戻って『交代の儀』を済ませて来てよ」
「俺は4代目なんかじゃない!!俺はチェシャ猫になんかなりたくない!!」



俺の怒鳴り声にリーフは眉を眉間に寄せるのを止めた。
悲しそうに瞳を潤ませると俺の頭をポカッと殴った。
力がはいっていないのか、殴られても痛くはない。



「何で、そんな寂しい事を言うの?チェシャ猫は、皆から愛される良い存在なのに…。私みたいに、アリスや女王様に見てすらもらえない子達からすれば、チェシャ猫は羨ましい存在なんだよ」
「そんなの俺には関係無い!!俺は元の世界に帰りたいんだ!」
「…ッ!!」



ポロッと何かが俺の顔に当たった。
リーフの目から先程まで無かった涙が零れている。
それと同時に木を見れば、木が段々枯れていった。



「リーフ?!」
「4代目の馬鹿!馬鹿馬鹿!!」
「待てよ!!これ以上泣くな!!」



俺は必死になってリーフを宥めるが、涙は止まることを知らないように流れつづけている。
このまま泣きつづければ死んでしまう!!



「リーフ、頼む。これ以上泣かないでくれ」
「ふぇ…ふぇぅ」



オロオロとしていることしか出来ない俺。
もう絶望的だった。
こんな事になるなら、嘘でも良いから4代目になるって言えば…



「リーフ、泣くのは止めてください。」
「あ…、シアン様」



フワッと香った香りは覚えがある。
声のする方をみれば、シアン、コハン、そしてチェシャ猫3代目が立っていた。
シアンは白いハンカチを出すと止めど無く流れているリーフの涙を拭いてやる。
俺はシアンの、その優しい姿を見ていることが出来なくなって視線を逸らした。



「一応、これは豆知識だが。リーフが今まで流した分の水分を取り戻す方法は数少ない。だが、水分が戻らなければリーフは数日もすれば消えるだろうな」



コハンの冷たい言葉に俺の目が見開く。
3代目は悲しそうな目でリーフを見つめていた。




「チェシャ猫が魔法をかければ、リーフは助かる。但し、これには条件があってな。新しい後継者が現れた先代チェシャ猫…つまり、この場合だと俺やシアン、3代目は魔法を使えない。使えるのは4代目である、お前だ」
「?!」
「リーフを助けるか、自分の世界を取るか。お前自身で決めろ」



リーフは涙で赤くなった瞳を俺に向けながら首を横に振った。
大方、無理にチェシャ猫を受け継ぐ必要は無いと伝えたいのだろう。
自分が勝手に我侭を言って困らせて、ドジを踏んだだけだと言いたいのだろう。


でも、俺はリーフをここで死なせてしまっても良いのか?
出会いは最悪だったけど。
リーフを殺してはいけない気がする。


いや…気がするんじゃなくて、駄目なんだ!





「リーフ、俺決めた」



元の世界に帰りたい、でも、リーフの命も大切だ。
なら…



「チェシャ猫になった後に、急いで俺の後継者を探してソイツにチェシャ猫の任を押しつける。んで、俺は
元の世界に帰る!」



俺の言葉にシアン達の目が嬉しさで輝いた。
リーフは更に泣きそうになるがコハンによって涙が出ることは無かった。



「『交代の儀』のやり方は、簡単です。3代目と手を繋いでから誓いを立ててください」



シアンの言葉通りに俺は3代目の手を握ると頭に浮かんだ言葉を紡いだ。








『我、導きの者なり。
汝、導きの者なり。
今、ここに任を譲り渡すべし。』








次の瞬間、フワッと何かが俺の体の中に入った気がした。

『その誓い、受け取った』

そんな言葉が俺の耳に入った。
ソッと頭に手をやるとフワフワしたものに触れる。



「…、このオプションさえなければなぁ…」
「チェシャ猫4代目!!リーフに触れて、『導きの泉よ溜まれ』と唱えろ!」



ハッと意識を元に戻して俺はリーフに触れた。
リーフは擽ったそうに微笑む。



「導きの泉よ溜まれ」



俺の言葉が終わった瞬間、リーフの体に光り輝く水が入っていく。
木の枯れていた部分も潤いを取り戻して元の状態に戻って行った。
数分後、元通りに戻った体を見てリーフはフワリと笑う。



「チェシャ猫クン、ありがとう」
「あぁ。」



照れくさいので俺は視線をリーフから逸らすと頬に何か柔らかいモノが当たっていた。
視線をリーフに戻すと嬉しそうに笑っている。



「御礼だよ。」
「御礼って…うぇは?」



頬に手を当てると手にピンク色の口紅がつく。
やっと何が起こったのか理解した俺は顔が火照るのを感じた。


それを見ていたシアンやコハン、3代目が声をあげて笑う。



「さぁ、行こうか!新しい我等がチェシャ猫クン!」
「明日、女王様に会って今回の事を報告しないといけないしね」



俺は、その言葉に頷くとコハンの差し出した手を握ってニヤッと笑った。



絶対、元の世界に帰ってやる!!
その前に、新しい後継者探しもしないといけないが…まぁ、なんとかしよう!!










さぁ、楽しいパーティの始まりだ。
このパーティの終焉は、まだまだ先になる筈さ。










レディ、ジェントルメン、一緒にパーティの終焉まで付き合って下さい。












END







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